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Kei-Mad 断想録

変なものを変と言い、嫌いなものを嫌いと自由にはっきり言える世の中であることを願って始めました。

天皇のためではない君が代を

天皇のためでない君が代を』

もし君が、君が代を歌うのなら

君が代の「君」について考えて見て

歴史的には君が代の「君」は天皇だったかもしれない!

そして、そうであろう。
また、そうであったであろう。

だが私は天皇のために君が代を歌わない。
歌いたくもないし、歌いもしない。

私が君が代を歌うとすれば、
それはこの国に生きている総ての「君」のために

私は君が代を歌う。

日々の暮らしを懸命に生きている総ての日本の「君」のために
君が代を歌う

努力した「君」、がんばった「君」、
努力している「君」、がんばっている総ての「君」のためにのみ

私は君が代を歌いたい。

競技会で流れる君が代は決して天皇のために流れてはいない。

がんばった「君」と「君」、
「君」や「君たち」を讃えるために流れて居る。

だからあなた達も君が代を歌え

かっての君が代がどんなであっても

今を生きる総ての「君」の想いによって、
歌の意味は変わり、変えられる

だからあなた達も君が代を歌え
天皇のためでない君が代を歌え

かくの如き歌として君が代を歌え
かくの如き認識を共有するために君が代を歌え

短歌にまとめてみた

「優勝の君を讃えて流れゐる
君が代の君は君こそふさわし」
by 麻土恵


追記、
国旗・国歌法の改正を願う。
本来あるべき形への改正を願う。
あるべき形、
心情の自然な発露、その延長として国旗・国歌がある状態への
改正を願う。
法という権力によって強制・強要される不健全・不自然より
あるべき姿への改正を願う。

それは歴史的径移から日の丸・君が代に違和を抱く
社会的少数者の権利と保護を銘記した法律への書き換え
それを願う。
それだけを願う!

神道の原則から靖国批判をやってみる。 その二、

神道の原則から靖国批判をやってみる
その二、(その一、からの続き[http://kei-mad.hatenablog.com/entry/2014/09/25/125719])

じゃあ靖国神社はそんな神となる資格を欠いたしかも「禍津」状態の御霊を200万以上も集めて何をしたかったのか?!

先に結論を言ってしまうと、御霊思想・御霊信仰をベースに人造の荒御霊、「人造の将門」「人造の道真」を造り国を守る霊的守護装置、霊的兵装としようとしたのだ!!

中国ホラー映画に出てくるキョンシーのように、

靖国は最初から禍津・怨霊としての力をそのまま利用しようとして造られた霊的施設・装置としてあり、
戦場で死して禍津となった者たちを原材料としてその荒御霊がもつ霊的な力を数多集めて複合させた集合霊「靖国の御魂」という英霊を造り出す装置なのだ。
靖国が死者の慰霊と鎮魂を主たる任務とする神社であるならば、
知っている人も多いでしょうが靖国には「靖国の御魂」以外の祭神が祭られていない。
主宰神とされている、「靖国の御魂」以外全く祭られていないのです。
これって変だよな!
死穢を含む汚れをどの神の権能で祓い鎮魂し浄めてるの?
「禍津」の荒御霊となった200万柱以上の魂を直日して和御霊に変換するのが慰霊なんだから。
どの神の力で慰霊してるのだろうか?

荒御霊となったものが荒御霊としての自身を自分で救うのかね?ありえんでしょ!

まさかこれだけ強烈な数の集合霊を大祓の祝詞を読むだけで事たれりと思っているようならそれは違うと言わざるを得ない。本来神社としての任務が追悼慰霊であるならば主宰神は大祓に登場する四柱の祓戸大神であるはずで、少なくとも相殿神(あいどのしん)として祭られていないとおかしいからだ。

位牌やお墓だけがあって主神/本尊が祭られていない状態っておかしいだろ。

だから靖国神社は戦死者を少しも悼み追悼し慰霊しているように見えないのだ。

戦場で死して「禍津」となった御霊を200万以上も集めてしかもすこしも慰霊にまつわる神事をしているように見えない神社ていったい何だろう。

靖国神社にはどうして伝統的な他の日本の神々を祭っていないのか

ある意味で当然、祭っていないのではなく祭れないのだが。

靖国神社英霊と称され祭られている「靖国御霊」とは未だ正式に慰霊されたことのない、
死の汚れを一度も祓われたことのない、死霊である。正確には禍津状態になった数多(アマタ)の霊を原材料として造り出された人造の禍津神だからである。

誰が考えたのか実におぞましい。
戦死者の御霊(ミタマ)を原材料として人造の道真、人造の将門をつくり、国家を守るガードマンに設えようとする思惑の元に生まれたもの。
それが「英霊」である。
御霊信仰をベースに道真・将門以上の権能を期待して人工的に造られた霊であり、国を守る霊的兵装として人工的に合成された悪霊。

それが靖国英霊の正体である。

一々の御霊はその原材料となっただけで、慰霊なんてされていない。死の汚れを未だ祓われたこともない死霊のままである。そしてそんな霊が幾百万と集まり一々の御霊の死の直前の意識が重・複合することでブラックホール化したような場所となっている。霊能者でGLAの主宰でもある高橋佳子氏が昔『真創世記 地獄編』でそのようなことを書いていたのを思い出した。

 だからそんな所に清浄を好む日本の伝統的な神々が同居したいと思うわけがない。まるで宮崎駿監督のアニメ「千と千尋の神隠し」に登場する『おくされ神』じゃないか!

最初から御霊を慰霊して和御霊にすることを目的とせず、戦場で死して禍津となった怨霊の力を利用する目的で作られた神社なら「禍津」となった荒御霊を慰霊して和御霊に変えてしまえば荒御霊として持っていた力を失うのだからそれはしたくてもできない、するつもりは最初からないということ。

そこが国家神道の問題なのだ。

次はこの靖国神社をどうすべきかということを考えてみます。

戦前に帝国憲法下の帝国日本が大本教団にやったみたいにダイナマイトで関連する神社施設を尽くぶっ飛ばしたいのかと言えばそうではありません。

どうしたら靖国神社国家神道から離れて伝来の日本神道の中に包摂されるのかを考えみようと思います。

ある意味でわかりきっていることですが、
靖国は戦場で亡くなった人たちを慰霊して産土神に手次して御魂を祖霊に帰す、そういう手次の神社になればよいのです。」

200万以上の荒御霊「禍津の霊」を抱え込んだ神社なんておぞまし過ぎでキモイ!!


追悼慰霊のために祓戸(はらえどの)大神を分霊招致してしっかり慰霊する。戦死者を悼み追悼し慰霊する施設であることを形で示す。
靖国の御魂」の非神宣言

そのために

日本神道の四大霊地、伊勢・熊野・出雲・三輪から「アマテラス・スサノオイザナミイザナギオオクニヌシ」の分霊を移した社を靖国境内に建てる。
これらの神が同一境内に揃うことは通常ありえないが国家神道を日本神道の中に包摂するというならこれくらいのことはやらないとです。

本来靖国には死んだら其処で会おうと言う約束の地の意味がありひとつのランドマークと化しているのでその地で慰霊の行為をするのは都合がよい場所なのだ。
だから靖国神社は慰霊して直日の御霊・和御霊となった霊を本来の導き手であるそれぞれの土地の産土神に手つなぎする役をする神社になればよいのである。

作歌してみる
靖国は御霊(ミタマ)鎮めて産土(ウブスナ)に
 繋(ツナ)ぐ手継ぎ(テツギ)の社(ヤシロ)なれこそ」

「戦場(イクサバ)と靖国産土(ウブスナ)結ばれて
祖霊(ミオヤ)への連環(ミチ)繋がるが善し」
(作歌 by 麻土恵 )


靖国境内に
一、祓戸大神を祭り神道に則った鎮魂慰霊祭をする。
これをしっかりやらないと他の神々特にアマテラスとは同居できないと思われる。

二、日本の四大霊地、伊勢・熊野・出雲・三輪から分霊を移す形で社を建てる事
これは同じ境内に日本神道界のトップ5(アマテラス・スサノオイザナギイザナミ・オオクニ・オオモノヌシ)が同時に祭られることはないが国家神道を日本神道内に包摂するならこれくらいしないとね。

三、どうしても靖国で国家が主催する慰霊際をしたいなら、広島の原爆碑と長崎平和祈念像をアレンジした全世界´の戦没者のための慰霊碑を建て、国家儀式の追悼セレモニーはここでする。

靖国神社を現在の日本神道の伊勢・熊野・出雲・三輪の四大霊地の神々の元にきっちり定位して手次の神社として機能させる。

靖国には死んだら其処で会おうと言う約束の地の意味があり霊にとってランドマークと化しているのでその地で慰霊の行為をするのには都合がよい。靖国神社は慰霊して直日の御霊となった霊を本来の導き手であるそれぞれの土地の産土神に手つなぎする役をする神社になればよいのである。

戦死者の慰霊をうたう神社であるなら、最低限でも祓戸大神(はらえどのおおかみ)を分霊招致してしっかり慰霊してもらわないとだね。

靖国神社国家神道を離れて伝来の日本神道の中に包摂するには以上のことが必要と考える。

慰安婦問題、気になるサイトのご紹介

慰安婦問題の本当の所を知りたいのなら一度は訪ねてみるべきサイト

歴史修正主義なサイト 慰安婦問題編 一言紹介付き

 

 語句解説

 ★「従軍慰安婦」 はてな キーワード

 http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BD%BE%B7%B3%B0%D6%B0%C2%C9%D8

史料ベースな総括的解説 (普通の歴史学史料批判スキルを習得した標準的な歴史学者)が作ればこうなるという概説

Wikiの「従軍慰安婦」のページはお勧めしないです。増設に増設を重ねた地方の温泉旅館見たいな作りで訳がわからん上に、説明がもってまわっていて、官僚の答弁みたいで一読では何を言っているのか理解しづらい。少なくとも日本軍慰安婦の項目を独立させるべきです。これを引用して使えば自分の論述が訳がわからなくなってしまい使えん。自分で即席で定義して使ったほうがましなぐらいまわりくどい。2~3年訪れてないので最近は知らないがちょっとはましになったかな?

その0、

 既に歴史的な役割を果たした

アジア女性基金のメモリアルサイト(村山富一元首相)

トップページ

http://awf.or.jp/index.html

案内版、↓(トップよりここから入る方が判りよい)

http://awf.or.jp/guidemap.htm

 日本政府の準公式に当たるサイト、ある意味妥協の産物ではあるが、 この問題で日本が世界的に現在どんな立場に置かれているのか 理解するために最低限踏まえておくべき現状が書かれている 賛成者も反対者も前提として抑えておくべき必須事項、 安倍氏も踏襲するとした河野談話を受け入れた日本政府の立場が明瞭に述べられている。 史料もわりと豊富、Downして読める。

その1、

FIGHT FOR JUSTICE 日本軍「慰安婦」 

忘却への抵抗・未来への責任

http://fightforjustice.info/

日本を代表するこの問題のエキスパート、吉見義明、林博史教授たちが ネットに溢れる歴史修正主義の誤りを正すために協力者たちと作ったサイト

史料庫 

http://fightforjustice.info/?page_id=608

pdfの史料がDownして読める。

 

その2

女たちの戦争と平和資料館 トップページ

http://wam-peace.org/

ウヨにはいわゆる売国反日ウーマンリブジェンダー系サイトと 認識されているみたいだが、 女性の権利が正当に評価されないこと、 戦場では弱者として蹂躙されるしかないことを起点として 元慰安婦女性たちに共感を寄せ、彼女たちの視線で 現代日本社会への正当な怒りを表明し批判してるだけなんだがな。

 

その3

Apes! Not Monkeys! 別館

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/

ネットウヨ嫌韓・嫌中諸君、彼らの天敵 反歴史修正主義の大戦士アペマン氏のトップページ(別館) エントランスに 「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな? その1~その13・・・ と君らにウッテツケのがまとめられてるよ どっちみち見たくないものは見ないだろうけど 論争を恐れず粘り強く相手と議論によって真実を明らかにしようとするタイプのブログ主

その4

河野談話を守る会

http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru

その名もずばり歴史修正主義の標的にされている河野談話を軸にしてさまざまの歴史修正主義者たちを切りまくるある意味痛快なブログサイト、馬鹿と論争はしないタイプの方とお見受けします。その点がアペマン氏と違う所かな。

 

その5

そうだったのね 慰安婦問題!

http://matome.naver.jp/odai/2138238867118488501

対話形式なので気軽に読め、ウヨ言論のトンデモさんたちの意見を概観できるまとめサイト 初心者のこの問題へのエントリーとしていいかなと思う。

 

その6、

従軍慰安婦の深層

http://d.hatena.ne.jp/abesinzou/

ブログ主が研究書については、2006年末時点でほぼ全ての専門書の結果を反映し、日本人にとって関心の高い部分をダイジェストしたものと自認する、良くできた個人研究によるまとめサイト、チョットずるをしてとりあえずの知識の嵩上げを図りたいときに有効なサイト。

 

Aftanoon Cafe

http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/

人権派の弁護士さんかな?と推察される視点からの論述を多数を紹介されたりUPされているサイト。時々出てくるタイムリーヒットとかホームランがすばらしい。ウヨにとって嫌な痛い言論を吐くネットのブサヨで難物のひとり。福島瑞穂を始めとして、人権派や9条支持派は軒並み反日ブサヨで在日認定らしいからな。

秋月葉月の名でtwitter

 

村野瀬玲奈の秘書科広報室

http://muranoserena.blog91.fc2.com/

人権感覚の鋭敏さと世の中への情報感度の鋭い、世界から面白いものを探して来るのが上手く ユーモアとウィットのあるブログ、但し情報が多すぎて全部に目を通すのは無理、 時流にはぐれたと感じる時に眺めて今の情報トレンドを見るのに最適。 Aftanoon Cafeの秋月葉月氏とタイプは違うが方向性が同じな二卵性双子児な感じなのでこちらも、ウヨからは反日ブサヨ在日認定だろうな。まあネットウヨの「反日ブサヨ・在日認定」の三題話は定番すぎてジョークにもならんがな

 

脱「愛国カルト」のススメ

http://netouyobuster.blog.jp/

「愛国カルト」とは、「愛国心」を免罪符に、デマや妄想をまき散らしたり、短絡的で極端な排他的発言をしたりする人たちを指します。
最近ネットではあまりに酷いデマとそれを信じる人が多いので危機感を覚え、ブログをはじめました。
このブログでは、愛国カルトたちのデマに日本人が騙されないように注意を促すことを目的としています。
 

とのブログ主の言からもわかるように、ネットウヨの盲説を元の嘘まで辿ってバスターする。愛と根気のブログです。

日本の保守、日本のトラウマ その3

歴史修正主義の向こう側

歴史修正主義の向こう側になにがあるのか?

彼らが頑なに見ようとしないもの、その深層心理になにがあるのか?

彼らが決して見ようとしないもの、

★日本人兵士たちの記録:回想記、戦記、日誌、日記本

★生き残った被害者たちの膨大な数の証言

★敗戦直後、三日三晩に渡って公文書を焼いて消滅せしめた事実

★海外の不都合な事例:中国韓国以外の出来事、フィリピン・インドネシア・マレーシア・オランダなど、

そして、それを認めさせようとする言論・言辞への過剰な反発の向こう側にあるもの 例ネットで見たある主張:

>>「日本をダメにしてきた元凶は?祖国を嘲笑し、貶め、未来を否定する言葉を口にする。日本の敵は中国でもロシアでもアメリカでもなければグローバル資本でもない、本当の敵は“誇りを失った日本人”」 「英霊を冒とくした罪は万死にあたいする。死ね!」<<

日本は不当に貶められているという思い。

:勝利者の敗者への一方的断罪だ。

理想化された「美しき旧き日本」を旧帝国日本に求める懐古趣味

中国・朝鮮への反発

:首相の靖国参拝は日本の勝手で内政干渉、従軍慰安婦南京事件は「中・韓」の捏造ウザ!

左翼思想への幻滅

ベルリンの壁ソ連崩壊以降の現実の共産主義の内実の暴露、毛沢東文化大革命カンボジア大虐殺などから左翼的と思える主張への疑惑と不信感。

反日勢力によって日本が誹謗中傷されているという思い

自虐史観と、日教組反日教育への反発

これらを背景に

 

歴史修正主義がなし遂げようとしている野望は 今の日本人に「大東亜戦争 聖戦論」を歴史的真実として認めさせようとすること

但し、真偽の問題としてではなく、 プレゼン的言論で日本人個々の愛国的心情に訴え多数の声とすることによって決しようとすること、

-それを彼らは[歴史戦]と呼んでいる。 論争ではなくオルグなのだ。

中国・韓国をウザ!と思わせ、その主張に疑問・疑念・不信感を抱かせ自分たちの側へ一歩近づけさせるのを目的にした宣伝活動で、内容がたとえ少々間違っていようと気にしないプロパガンダの類

少しこの過程を丁寧に見ていく、

戦前の皇民教育の刷り込みによって成立した当時の個々人の戦争への主観的な思い!

実際に戦争に行って生きて帰ってきた人々ではなく当時少年であって、理想化された日本のイメージを持ち続けた者たちの思いと戦死者たちへの思い。

その思いの中にある「大東亜戦争」だけが本当の真実であり、総てであると思わせそこへ導き入れる。

真偽の事実問題を、心情の真実問題へ転換させそこへ導く、

そして従来説、彼らが自虐史観と呼ぶものに、あらゆる難癖をつけて胡散臭げと思わせ史実論争を混乱させ惑わせる。

後は相手の愛国的心情に訴えかけて自分たちの側に一歩近づけさせるかうまく取り込む。 そのようにして取り込まれた彼らがまた新たな同質の宣伝活動の始点となりさらなる広報活動を展開するというねずみ講マルチ商法みたいな構図である。

真偽の事実問題ではなく、政治問題として強引に多数決でこの問題にけりをつけようとする志向性が強く思想戦

そういった相手と論争するのは大変だ。しかも初学者がGoogle検索で調べた時に、歴史修正主義に影響されたまとめサイトが数多くヒットし、無意識に「嫌中・嫌韓」的情緒に引きずられ誘導ないかが心配である。

歴史修正主義には日本人を誘惑して劣化せしめる悪魔のプログラム

日本人劣化プログラムの面があるので危険なのだ、それに気づかないと関東大震災での朝鮮人虐殺事件の加害者になりかねないのだ。

日本の保守、日本のトラウマ その2

大東亜戦争 聖戦論」の憂鬱

日本会議」のグループにとって、大東亜戦争 聖戦論」はアメリカの正義に抵触しアメリカがまず受け入れることののない主張であり、同時に戦後大日本帝国を完全否定することで生まれた日本国が国家としては決して主張できないことであることがこのグループの最大の鬱屈となっていたとみていい。


そしてその主張はあの戦争を実際に経験し帰還した人々が数多生きている限り受け入れられぬことも判っていた。その鬱屈が歴史修正主義となって中国・朝鮮の歴史的事実の歪曲否定に向かった。

彼らが言う「歴史戦」は黒歴史として封印してしまいたかった多数の戦争経験者の死没を待って始まった。

ここを突破して日本国民に「大東亜戦争の真実」を肯定させ納得させようとする歴史戦が始まるのである。


その鬱屈が自主憲法の制定と歴史修正主義運動として顕れることになる。

だから内心に「大東亜戦争 聖戦論」を持ち続ける彼らは遠い先の歴史家に戦争の評価をゆだねるとしか言えなかったのだ。

過去の出来事この場合自民党の政治家たちが「第二次大戦」「太平洋戦争」「大東亜戦争」について判断を保留して「将来の歴史家にそれを委ねたい」とか言っていかにも公平で余裕と見識があるように話し、歴史判断を回避しようとしてきたのは、したくない、出来ないのではない。

現在支配的な見解、自虐史観と歴史修正派が呼ぶ歴史学の正統的見解が気に入らず、自分の現在のその見解「大東亜戦争 聖戦論」をそのまま述べると批判を被ることが絶対に確実なために自身の見解を公に話したくないだけだからだ。

総ての歴史は生きられた実存の集大成だからそこに謝罪の入り込む余地なんかないんだよ。無残・無慈悲に虐殺された人々も、惨殺を実行した人々も共に歴史の主人公であり実践者そのものであり、生きた実存そのものなのだから、そこに謝罪なんかしちゃだめ!!

する必要なんか全くない!どころか原理的にできないしまたしてはいけない。

過去を厳格・厳粛にに受け止めて、さあこれからどうしようか?という現在の歴史・現在の政治をどのように未来に向かって実行しようとするときに「現在の価値判断」としての反省がいるんだよ。だからこの「現在の価値判断」を「将来の歴史家」に委ねるような政治家はとうてい信用できるはずがないのだよ!

日本政府がしなければならない現時点での反省の視座となるべきものは、第二次大戦後うまれた思潮民族自決・反植民地主義反帝国主義である。

その思潮を旨に未来を見渡して、過去と向き合えば、対華21ヶ条の要求の何処にアジア諸国の主権回復と列強からの独立への支援があるのかという話だし、今となっては全く恥知らずな帝国主義的主張にしか見えない。

袁世凱に乗せられたの主張は、なさけないし完全に間違っている。当時そういう主張をできる事が大国としてのプライドだったことを忘れてる。そういった帝国主義的主張を相手に強要できることじたいが当時の国家の面目であったからである、今となってはこれ以上無いくらいあつかましい帝国主義的主張であるが、それが日本の歴史的主張として歴史に記録される事をこの当時日本が全く恥ずかしいことだと思っていなかったことの逆証明であるからだ。

また過去に日本が朝鮮に行った日韓併合はあきらかに民族自決の原則に反している。またそれは植民地政策そのものである。
本当に未来志向をとなえるなら、これらのことに対して素直に間違いだったと反省すればいいものを、当時はそれが正しかった間違いじゃなかったと過去の抗弁に終始していてどこが未来志向なんじゃいと言わざるをえない。

だが、それができない!したくない!のが現政権なのだ、内に「大東亜戦争 聖戦論」を抱えているからである。

安倍首相が唱える戦後レジームからの脱却の真の意味は「日本国」を解体して「大東亜戦争 聖戦論」の世界の復旧「大日本帝国」の復権である。それが、歴史修正主義の正体である。

 

 

日本の保守 、日本のトラウマ その1

- 中国・朝鮮へはどうしても謝罪したくない症候群

戦後日本が中国・韓国、朝鮮をウザ!と思い続けてきたのは、

日本の政権の背後に、「旧大日本帝国の正義」と「靖国英霊」の顕彰・国家護持を掲げるグループ、 未だ国家神道皇国史観に拘泥し続けている自民党の最右派グループ(現在「日本会議」としてグループ化されている)がおり、

彼らにとってこの二国はどうしてもかっての旧大日本帝国の正義「大東亜戦争 聖戦論」に賛同してくれなさそうだったからである。そして彼らはアメリカには負けたが中国朝鮮に負けたわけではないと強く思い込んでいるからだ。そこには戦前から続く中国・朝鮮への潜在的差別感情がある。

彼らがサンケイグループを中心に仕掛けた「歴史戦」と称する歴史修正主義運動によって現出してきた「嫌中・嫌韓」気分に伴う差別感情はある意味「日本会議」がもつ潜在的差別感情の顕在化である。

但し、 このグループが抱える鬱屈の最大のものは、旧大日本帝国の正義をアメリカに対して主張できないことだろう。

太平洋戦争のアメリカの正義は、 独裁ファシスト国家、旧帝国日本の暴虐支配から諸国を解放し、合わせて皇国史観の呪縛にとらわれた日本国民に自由・平等・民主主義の価値を教え、パックス・アメリカーナの正義を世界に知らしめる。ことであった。

合わせてこの地域、東亜太平洋地域でのアメリカのヘゲモニーの確立である。

そして日本はアメリカを含む連合国にみごとに負け無条件降伏を受諾し、アメリカの正義を受け入れそれを基礎として、新国家「日本国」が生まれた。

彼らの主張したい大東亜戦争 聖戦論」はアメリカの正義に抵触しアメリカがまず受け入れることののない主張であり、同時に戦後大日本帝国を完全否定することで生まれた日本国が国家としては決して主張できないことであることもこのグループの最大の鬱屈となっているとみていい。

そしてその鬱屈が歴史修正主義となって中国・朝鮮の歴史的事実の歪曲否定に向かった。ここを突破して日本国民に「大東亜戦争の真実」を肯定させ納得させようとする歴史戦が始まるのである。

 

国家神道を解くためのいくつかの定義

靖国国家神道をいろいろ書いてきたのそれを読み解くために必要な幾つかに自己流の定義をしておこう。

 宗教∥①.追い詰められてなんらかの救いを必要としている弱い立場の人や、人のよい騙ダマされやすい人間たちから金や財産・労力を騙し取る手段=人民の阿片もしくは『サギ』『ペテン』

 ②.自己の生と世界の真相についての本質的根源智-高次認識,世界の深層についての科学的な知識とは別な意味での客観智でありながらそれを信じない人間にとっては-ドクサ(主観的独断)でしかないもの.それを信じる者にとっては,自己と世界全体を規定する“根拠の思想”“覚悟の思想”“最後の思想”としてあるもの.

 ③.人の人生の意味を意義づけ規定する象徴的意味体系-世界観 /人の人生- 生まれ・生き・老いて・死ぬ -という日々の暮らしを努力して生きて死ぬというそのことの意味を,永遠と云う宇宙的な時間- 日常的な個々人の生死を越えた時間と空間の中でどのように意義づけ評価していくかを決定づける基準

 

神道とは

神道を「唯神(かむながら)の道」と押さえ、日本の天地自然の背後に在る自然精霊としての神と瞑想を介して直截する回路を持てば神社も天皇も不要になる。自然の神々との間に直截的な交歓をかわしながら永遠の今としての現実の中で自然共生的生を生きること。

本来日本の神道とはそういう神と直截して天啓を得るシャーマニズムの宗教だったはず。清めと祓いはその為の条件、その条件だけが神道であるように誤解されてしまい、目的が不明になり手段が自己目的になってしまった。それが日本の神道の大問題。

もちろん自分用の定義です。もっとも定義というよりイメージ、国家神道と云う言葉が私に引き起こす諸々のイメージのまとめみたいなものだな。

国家神道とは簡単言ってしまうと、

伝統的神道儀礼の上に天皇のシャッポを乗せる思想である。それまで、地縁・血縁を背景としていた民俗的習俗儀礼としての神事をすべて国家の管理下に置き、すべての神社に天皇の刻印を押し神社は宗教ではなく「国家の宗祀」とするイデオロギーの類であり、皇国史観神道世界を統べようとする思想。

天津神国津神であろうと総ての神々を万世一系の天皇支配に帰属させようとするする思想。総ての国民に古事記日本書紀天皇中心主義の思想を政治権力を用いて日本の隅々まで教育制度を通じ貫徹させようとした思想でありイデオロギーであるもの。その性格は、天地自然に宿る自然精霊としての神々と天皇が同格に来る転倒した価値観を持つ「現人神」の宗教、政治を「現人神」天皇の権威・力で最終決着をつけようとする祭政一致形の宗教

 

だから今も、自身の精神世界で神との接続・連携ができていない神道家がこの思想から自由であることは難しい。自身の霊的神秘体験として直截的な「神」との交歓を経験していない神道家は国家神道の呪縛から自由であることは今も難しい。

自身及び日本人の霊性への反省よりも、「神国日本」や「美しき日本」を前面に持ち出す神道家は信用しない方がいい。国家神道の呪縛は今も続いている。