Kei-Mad 断想録

変なものを変と言い、嫌いなものを嫌いと自由にはっきり言える世の中であることを願って始めました。

神道の原則から靖国批判を書いてみる、その一、

靖国神社は今までほとんど神道の原理・原則によって批判されてこなかった。 神道家の怠慢である。

靖国神社を心情的に支援する人たちには、神道原理の上に立った原理的批判以外 倫理的・道徳的・法律論的・社会論的・歴史学的な一切の批判が意味を持たないからです。

★[-「英霊の冒涜は許さん」靖国参拝訴訟で津川雅彦さんら15人、神社支援-]'14.09.19'

「わかってないなあー」としか言いようがないです。

では神道の原理原則からみて靖国にはどんな問題があるのか?

そして問題があるなら、どうすれば靖国は普通の神社なるのか?

普通の神社にするにはどうすればよいのか? といったことを述べたいと思う。

靖国神社が普通に戦死者を悼み追悼し慰霊するしているだけの神社であれば、普通の日本人が参拝しておかしい理由はなにもないのだが、「靖国」は神道の原理・原則から考えて非常におかしいものを抱えているつまり「国家神道」という神道亜種が抱えている問題があるからなのだ。

アニメ「魔法少女まどか☆マギカ」のキュウべぇふうに言えば

「あなた方は不幸にも戦争で死んじゃって、生前の約束に従って此処(靖国)に帰ってきました。でも恨まない・祟らないで静かにそこにいてね、英霊と云う位の「神」にしてあげるからこの国の守護神となってこの国を守ってくれないかなー、それ生前からの約束だから守ってね!(未来永劫契約だけどいいよね!ウフフ!!)」

これが靖国の呪い」というものなのだが、 此処には、思いっきりの詐欺があるのだがわかる人は少ない。 靖国神社は「お前らの命は一銭五厘」の延長線の上にあり -マインドコントロールされていることに気づけていない人が多いので、靖国英霊」と云う神に序され祭られることがとても良いことのように思われている。 そこで海外、特に中韓からの批判に何が悪い反対するのは非国民の売国奴だとなり・・・

<小泉・阿部よくやった。>

<国を守った「英霊」を讃え参拝することの何処が悪い。>

<中国・朝鮮なにするものぞ。ざまを見ろ!> の言辞が生まれる。

しかし靖国の霊魂の扱い方には神道の輪廻観からの逸脱があることに気づいていない。

 神道の原理・原則からいけばこの世(日本の土地)に生まれた魂は全て産土(ウブスナ)神の管轄になり、死せばこの神に導かれ祖霊に帰り、そしてまた自身に血のつながりのある血縁の末裔として生まれ変わると云う生死の循環を繰り返す-この生まれ変わりの中で自身の心魂を磨き神の御用を努めるにふさわしい存在となりその事績が万人に祝されることによって遂に神に序される、こういう過程でひとは神になる。個「人の御技の並外れ優れた徳のありてかしこきものをもって神(迦微)とする」本居宣長の定義からはこうなるのが自然である。

戦場などで異常な死に方をした御魂は四魂(幸御霊・奇御霊・和御霊・荒御霊)のバランスが崩れた禍津(マガツ)の御霊-荒御霊過多状態一言でいえば怨霊状態になっていて危険な状態となる、 この歪んだ禍津状態の御魂を慰霊して直な御魂に戻して後は産土神に委ねて祖霊に帰せば神道的には一件落着になるのだが靖国がかかわるとここがずれてくるのだ。

靖国は戦争で死んだ御霊を英霊軍神として祭ると云うことになっているのだが、祭られている御霊の一々は神と呼ばれ祭られるに足る資格が決定的に不足している。彼らは只戦争で死んだというだけで神と呼ばれるに足る何事かを成し遂げた訳ではない。神となるには未熟の御霊なのだ。

 まだ幾度も世に出直して身魂を磨き世に神と認めらる何事かをなして初めて神とはなる。 神となり双六で上りとなっていないものをかってに本来の転生の輪より外して囲い込んでいるだけなのだ。 人間はそう安直に神にはならない。戦で天皇のために死んだくらいで本当は神にはならない。靖国に祭られている御霊の一々は「神」となるには未だ未熟な魂でありとても神となるべき資格を有してはいない。本来何度も生まれ変わり死に変わりする生死の循環を繰り返し個としての自己を確立すべき魂を、横から引っさらってお前はもう神なんだといって「英霊」と云う名の群体霊の一員として、国家守護のガードマン役を押しつけているのである。

一個の魂・御霊として自己確立の機会を奪い独立した一柱の神になる機会を奪っているからだ これは詐欺である。

作歌してまとめてみる

「戦争(イクサ)にて死せるといえど神ならで 禍津(マガツ)の御霊(ミタマ)になるだけなるを」

英霊と呼ばれる魂の一々は 神とは呼べぬ未熟の霊なり」

「幾度も末と生るる生を得て 徳を積むべき未熟の霊なり」

繰り返しになりますが、神道では霊も本来生死を経て巡るもの、循環するものでその過程で霊も成長進化するものとしてあります。仏教のような業によって輪廻転成するのではなく一族の末・同系の遺伝子を縁としてその末裔として生まれ変わるのが神道の生まれ変わりの基本です。

靖国英霊」となることはこの循環から切り離されて永久に国家の道具として使役されることを意味するので、そこに詐欺があるというのです。自身の霊の成長と引き換えに護国の軍神として永久に使役され続けると云うのはとんでもない詐欺なんではなかろうか? 彼らが真に帰るべき場所は靖国ではなくて、父祖ねむり子孫が遊ぶ故郷であり、親類縁者の末に新たな生命を得て転生し、いま一度の人生をやり直し神の御用を努める事こそが神道の正しい循環なのだから・・・

作歌してみる

英霊の帰すべき処は靖国ならで 子孫が遊ぶ故郷の丘」

「父祖眠り子孫が遊びおる見えし 小高き丘こそ至福処ならむ」

靖国に永久に祭らる命より 末と生まるる今一度の生」

靖国はその循環を阻害している!

以上が批判の一つ目 今日はここまで、

歌はすべて自作短歌です。 By (Kei-Madこと麻土 恵です。)

その二、[http://kei-mad.hatenablog.com/entry/2015/07/01/075729]へ続く