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Kei-Mad 断想録

変なものを変と言い、嫌いなものを嫌いと自由にはっきり言える世の中であることを願って始めました。

支那と中国の呼称について

 支那と云う語には歴史的に差別の意味はない。というのが石原慎太郎氏や黄文雄氏の意見ですが、彼らは例えある時点で一般普通名詞に過ぎなくとも、『悪意と共に用いられる言葉には悪意が宿る』と云うことを知らない、むしろ見ようとしていないだけだと思っています。

日本に「支那」ではなくて「中国」の語を使うように要請したのは蒋介石中華民国だったはずです。 『「公的に支那の語を使用しないことは敗戦後、外務省次官通達によって決定された・・・この通達の背景には戦勝国として連合国の一部であった中華民国の意思があった。(ニコニコ大百科)」』 http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%94%AF%E9%82%A3

現代の中国人が支那の語にある種の忌避を感じるのは、

支那=(因習と旧弊に満ちた時代後れの国)

支那=(大きいといえども列強に蹂躙されるしか出来なかった弱い国)

と云う侮蔑ないし悪意とそれが事実であった事に恥を感じてしまうことによると思われます。

少なくとも、蒋介石はそのように感じ、因習と旧弊を「支那」の語とともに捨て「中国」の名に過去の伝統と誇りを取り戻し未来への希望を託す国名として「中国」と云う国名を選んだのだと思うのです。

第二次大戦後中華民国はその国家意思として「公的に支那の語を使用しないこと」を日本国政府に要請し「外務省次官通達によってそれを決定」という過程を経て。私たちは「中国」の語を使うようになった。

私は、第二次大戦後の中華民国が「支那」の語に抱いたわだかまり嫌悪・忌避感を 支那=(因習と旧弊に満ちた時代後れの国)、 支那=(大きいといえども列強に蹂躙されるしか出来なかった弱い国) としてとらえることで了解出来ると思います。

極東の小国に過ぎないと思っていた日本に大国「支那」が蹂躙された、このことをある種の屈辱を感じずに済ませ得る「支那」人がいるだろうか?

英語のChinaの語源が「支那」であるのに日本にだけ「支那」を許さない 許したくないその理由も日本と中国が同じ漢字を流用している国である所にあります。西欧列強と共に支那を蹂躙した当事国である日本には「支那」を使って欲しくなかった

「いつまでも「支那」を「支那」だと思うなよ!」という気分は了解可能だと思いますが、同じ漢字を流用する国家である日本と日本人に特にそのことで二度と侮られたくない支那として侮られたくない」という気分を了解するので「支那」という言葉は使わない方が良いと考えます。

あえて「支那」という語を使う人は惻隠の情というものの判らん奴だと思っております。石原慎太郎はこれを判ってやっている確信犯の気がする。

どんな言葉であれ悪意と共に用いられる言葉には悪意が宿り、その語によって指し示される側はその微小の悪意にも敏感になるものなのです。

その真偽は調査がされたとも聞かないので現在の中国では不明というのが正確でしょうが、少なくとも、20年に及ぶ日本軍との戦争を通して蒋介石はそのように感じていたことは確実だと私は思っています。