Kei-Mad 断想録

変なものを変と言い、嫌いなものを嫌いと自由にはっきり言える世の中であることを願って始めました。

天皇のためではない君が代を

天皇のためでない君が代を』

もし君が、君が代を歌うのなら

君が代の「君」について考えて見て

歴史的には君が代の「君」は天皇だったかもしれない!

そして、そうであろう。
また、そうであったであろう。

だが私は天皇のために君が代を歌わない。
歌いたくもないし、歌いもしない。

私が君が代を歌うとすれば、
それはこの国に生きている総ての「君」のために

私は君が代を歌う。

日々の暮らしを懸命に生きている総ての日本の「君」のために
君が代を歌う

努力した「君」、がんばった「君」、
努力している「君」、がんばっている総ての「君」のためにのみ

私は君が代を歌いたい。

競技会で流れる君が代は決して天皇のために流れてはいない。

がんばった「君」と「君」、
「君」や「君たち」を讃えるために流れて居る。

だからあなた達も君が代を歌え

かっての君が代がどんなであっても

今を生きる総ての「君」の想いによって、
歌の意味は変わり、変えられる

だからあなた達も君が代を歌え
天皇のためでない君が代を歌え

かくの如き歌として君が代を歌え
かくの如き認識を共有するために君が代を歌え

短歌にまとめてみた

「優勝の君を讃えて流れゐる
君が代の君は君こそふさわし」
by 麻土恵


追記、
国旗・国歌法の改正を願う。
本来あるべき形への改正を願う。
あるべき形、
心情の自然な発露、その延長として国旗・国歌がある状態への
改正を願う。
法という権力によって強制・強要される不健全・不自然より
あるべき姿への改正を願う。

それは歴史的径移から日の丸・君が代に違和を抱く
社会的少数者の権利と保護を銘記した法律への書き換え
それを願う。
それだけを願う!