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Kei-Mad 断想録

変なものを変と言い、嫌いなものを嫌いと自由にはっきり言える世の中であることを願って始めました。

日本の保守、日本のトラウマ その2

大東亜戦争 聖戦論」の憂鬱

日本会議」のグループにとって、大東亜戦争 聖戦論」はアメリカの正義に抵触しアメリカがまず受け入れることののない主張であり、同時に戦後大日本帝国を完全否定することで生まれた日本国が国家としては決して主張できないことであることがこのグループの最大の鬱屈となっていたとみていい。


そしてその主張はあの戦争を実際に経験し帰還した人々が数多生きている限り受け入れられぬことも判っていた。その鬱屈が歴史修正主義となって中国・朝鮮の歴史的事実の歪曲否定に向かった。

彼らが言う「歴史戦」は黒歴史として封印してしまいたかった多数の戦争経験者の死没を待って始まった。

ここを突破して日本国民に「大東亜戦争の真実」を肯定させ納得させようとする歴史戦が始まるのである。


その鬱屈が自主憲法の制定と歴史修正主義運動として顕れることになる。

だから内心に「大東亜戦争 聖戦論」を持ち続ける彼らは遠い先の歴史家に戦争の評価をゆだねるとしか言えなかったのだ。

過去の出来事この場合自民党の政治家たちが「第二次大戦」「太平洋戦争」「大東亜戦争」について判断を保留して「将来の歴史家にそれを委ねたい」とか言っていかにも公平で余裕と見識があるように話し、歴史判断を回避しようとしてきたのは、したくない、出来ないのではない。

現在支配的な見解、自虐史観と歴史修正派が呼ぶ歴史学の正統的見解が気に入らず、自分の現在のその見解「大東亜戦争 聖戦論」をそのまま述べると批判を被ることが絶対に確実なために自身の見解を公に話したくないだけだからだ。

総ての歴史は生きられた実存の集大成だからそこに謝罪の入り込む余地なんかないんだよ。無残・無慈悲に虐殺された人々も、惨殺を実行した人々も共に歴史の主人公であり実践者そのものであり、生きた実存そのものなのだから、そこに謝罪なんかしちゃだめ!!

する必要なんか全くない!どころか原理的にできないしまたしてはいけない。

過去を厳格・厳粛にに受け止めて、さあこれからどうしようか?という現在の歴史・現在の政治をどのように未来に向かって実行しようとするときに「現在の価値判断」としての反省がいるんだよ。だからこの「現在の価値判断」を「将来の歴史家」に委ねるような政治家はとうてい信用できるはずがないのだよ!

日本政府がしなければならない現時点での反省の視座となるべきものは、第二次大戦後うまれた思潮民族自決・反植民地主義反帝国主義である。

その思潮を旨に未来を見渡して、過去と向き合えば、対華21ヶ条の要求の何処にアジア諸国の主権回復と列強からの独立への支援があるのかという話だし、今となっては全く恥知らずな帝国主義的主張にしか見えない。

袁世凱に乗せられたの主張は、なさけないし完全に間違っている。当時そういう主張をできる事が大国としてのプライドだったことを忘れてる。そういった帝国主義的主張を相手に強要できることじたいが当時の国家の面目であったからである、今となってはこれ以上無いくらいあつかましい帝国主義的主張であるが、それが日本の歴史的主張として歴史に記録される事をこの当時日本が全く恥ずかしいことだと思っていなかったことの逆証明であるからだ。

また過去に日本が朝鮮に行った日韓併合はあきらかに民族自決の原則に反している。またそれは植民地政策そのものである。
本当に未来志向をとなえるなら、これらのことに対して素直に間違いだったと反省すればいいものを、当時はそれが正しかった間違いじゃなかったと過去の抗弁に終始していてどこが未来志向なんじゃいと言わざるをえない。

だが、それができない!したくない!のが現政権なのだ、内に「大東亜戦争 聖戦論」を抱えているからである。

安倍首相が唱える戦後レジームからの脱却の真の意味は「日本国」を解体して「大東亜戦争 聖戦論」の世界の復旧「大日本帝国」の復権である。それが、歴史修正主義の正体である。